グスタフ・クリムト

 私の母が毎週楽しみにしているテレビドラマ「篤姫」をちらりと目にする機会がありました。このドラマの最初に流れるCGにグスタフ・クリムトの代表作「接吻」の色調、モチーフが実にうまく取り入れられていました。

 クリムトはオーストリアに生まれ、父は彫版師でした。小学校で学んだあと、工芸学校に進みます。同じ道を進んだ2人の弟たちと共に、劇場装飾などをてがける装飾家として世に名を知られるようになります。

 ウィーン大学大講堂の天井画の仕事が彼の転機になります。古典的、伝統的な写実主義の美術界からの分離を唱え、彼はモダンデザインの確立を提唱しました。

 クリムトは生涯結婚せず、恋に生きた男性でした。彼のテーマに官能的なものが多いのもそのためでしょう。また、金箔を多用しています。これは日本の屏風図に影響を受けたのだそうです。彼の作品を観ていると時を忘れます。

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ジム・トンプソン

 タイで生活・文化に密着しているゾウをモチーフに、タイ・シルクを世界に広めたのが、ジム・トンプソンです。スカーフやハンカチの絵柄に惹かれて、愛用しています。ジム・トンプソンがデザイナーなのかと思っていた時期がありましたが違いました。

 彼はもともとアメリカの諜報部員、つまりスパイでした。タイに移ってからはそれまでの国際的な人脈をいかして、事業を立ち上げ、タイ・シルクを世界に広めました。ハリウッド映画の「王様と私」で使用された衣装はすべて、彼が用意したタイ・シルクだとか。商才がある人ですね。最期は突然行方不明となり、謎の死を遂げたとされています。

 ハンカチやスカーフでその絵柄を楽しんでみて下さい。7月いっぱいは、診療室に絵画仕立てにして飾っています。鮮やかな亜熱帯を思わせる色づかいがあるかと思えば、押さえた色調のシックな色づかいもあります。百聞は一見にしかず。どうぞ、院内でご覧になってみてください。

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クリスティ・ブラウン

 アカデミー賞主演男優賞、助演女優賞を受賞した「マイ・レフトフット」という作品でこのアイルランドが誇る画家、作家、詩人と出会いました。

 先天的小児脳性麻痺に侵されたため、四肢で動くのは左足だけ。知能は優れていたのですが、周囲はそれに気づきません。7歳の時に左足の指にチョークをはさんで文字を書いたことから、ようやく外界との知的交流が可能となります。

 家族は極貧の生活のなかでクリスティを支えます。家族の愛情がいかに子供の成長に大事かということをあらためてこの映画で感じました。

 クリスティ・ブラウンが感じている孤独。作家として創作活動の中で感じる孤独に加えて、身体に障害を持つものとしての孤独。家族への愛情。人生の哀しさ。これらが彼の作品のテーマとなっているようです。 

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いわさきちひろ

 5月の診療室の絵は、こどもの日にちなんで、開業当時から、いわさきちひろの絵を3点飾っています。私のお気に入りの絵ばかりです。麦わら帽子をかぶった、つぶらな瞳の少年の絵、飛び跳ねるこどもたちの絵は特に好きです。

 水彩画であるからこその淡い、爽やかな、透明感すら感じる作風に心を惹かれます。

 子供はときに実に残酷なことを言ったり、したり、するものです。作者の人生をひもといてみてギョッとしました。彼女は実は「お嬢様」。大連での新婚生活はわずか1年で破綻。彼女は婿養子に取った男性に決して心を開かず、相手の男性がピストル自殺を図ったのだそうです。

 結婚生活というものは、どちらがいいとか、悪いとか、その当事者以外にはわからない事情があるものです。しかし、彼女の絵からは想像もつかないエピソードを知り、少しショックをうけました。診療室で絵を眺めるたびにフクザツな気持になるのは今年が初めてでしたね・・・。

 

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レオナルド・ダ・ヴィンチ

 10年ほど前、学会に参加する飛行機の都合で、ミラノを訪れる機会がありました。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の壁に描かれている「最後の晩餐」だけは観たいと思って、予定に組み込んでいました。偶然、この教会から歩いていける距離に、作者であるレオナルド・ダ・ヴィンチ美術館なるものがあると知り、駆けつけました。

 美術館というと、絵画や彫刻が並んでいるところを想像します。しかし、博物館といったほうがぴったりくる展示内容でした。人体の解剖デッサン、航空のための設計図など、画家としての一面よりも、科学者としての側面が印象深く残っています。

 チェーザレ・ボルジアという美男子☆で有名な軍人(教皇軍最高司令官)の建築技術監督としてダヴィンチが約8ヶ月行動を共にしていたと知り驚きました。チェーザレ・ボルジアについては、ちょうど、先週、マキャベリという人物の「君主論」という本を読んでいて出会いました。この3人が同時代に生きていて互いの人生に関わり合っていたとは・・・。歴史もこれまた楽しみなり・・・♪

 美術館にあった解剖デッサンの雰囲気とダヴィンチの顔をご覧になってみてください。自分へのお土産に手の解剖デッサンのポストカードを入手しました。

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ヴィンセント・ファン・ゴッホ

 8月の診療室内の絵は全てゴッホの作品です。「ひまわり」と「夜のカフェテラス」と題された作品がとても好きで、仕事中でも観たいと思っていました。え?今は4月でしょ?って、まあエイプリルフールの月「4月ばか」ということでおゆるしください。おほほ。

 しかし、ゴッホというと、暗いイメージを持つのは私だけでしょうか?生きている間に作品が認められず、貧しさの中であえいでいた。自分の耳を切ったり、最期にはピストル自殺というショッキングな人生ストーリーは皆さんもご存じでしょう。彼の人生を考えると、「ちょっと縁起が悪いかな?」などとも感じて、医院を開いた数年間は飾らなかった・・・という「こわがりやさん」の私です。

 ところがどっこい、祖父や父は牧師、伯父さんや弟のひとりは画商・・・優秀で、お金持ちの親戚がいたというではありませんか。まあ、ゴッホ本人は、かなり激しい性格の方だったようで、画商、牧師、伝道師、炭坑夫と職業を転々とし、37才の若さで他界しています。一説によると自殺ではなく他殺の疑いもあるのだそうです(謎)。

 「ひまわり」:夏の強い日差しのに耐えて花を咲かせたひまわりを活けた様子。この絵の生命力にあふれた黄色が好きです。バックの壁が白というのもいいですね。

 「夜のカフェテラス」:深い青で描かれた夜空に静けさを感じてココロが落ち着きます。

 では、2つの小さな絵を添付しますので、ご覧になってみて下さい。

 

 

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ピエール・オーギュスト・ルノワール

 先日東京に出張に出向いた際に、国立西洋美術館で「ウルビーノのヴィーナス展」を観てきました。その際に、印象派を代表する画家であるピエール・オーギュスト・ルノワールと、その息子のジャン・ルノワールそれぞれの作品を同時紹介する展覧会「ルノワール+ルノワール」が開催される予定と知り、東京にお住まいの方がうらやましく思えました。

 父ルノワールの方はこれはもう美術の教科書に必ずその作品が載っているはずで、白いドレスに身を包んで腰掛けている少女の像が有名ではないでしょうか。私は、息子ルノワールが映画監督であるということを今回初めて知りました。

  父と息子が互いに影響しあったとか。会場では油彩画と映像からの抜粋を直接に対比させながら、2人の芸術者としての接点などを観ることができるそうです。運良く、そのガイドブックがご覧頂けます。くらべてみて下さい。印象派の作品は明るい太陽の光に満ちているようで心が晴れやかになりますね。

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フィリッパ・ジョルダーノ

 かつて、芸術は王侯貴族のものでした。しかし、現代は、音楽産業やマスコミ、スポンサーとなる企業が大きな力を持っています。また、その時代の力となる観衆をいかに多くつかむことができるか?現代の芸術家が華やかな舞台に立ち続けるには大変な舞台裏での努力が必要なのだと思っています。

 1970年代イタリア、シチリア島に生まれます。ピアニストの姉、チェロ奏者の兄、メゾ・ソプラノ歌手で声楽教師の母、システィーナ礼拝堂でバリトン歌手を務める父という、音楽一家の中で5才から音楽を学び始めます。オペラの歌い方が好きになれず、13歳の時に、ただのポップスではなく、独特なスタイル「ポップ・ソプラノ」を築き上げます。バレエも長年習っていましたが、何年たってもデビューはかないませんでした。意外なことに経済的に苦しい家庭だったと本人は述べています。日本では貧しいなどとはとても考えられない家庭環境ですが。

 1998年にイタリア音楽界屈指のプロデューサーに認められ、デビュー・アルバム「フィリッパ・ジョルダーノ」が発売されるやいなや、世界中で賞賛され、ヒットします。西暦2000年を迎える際には、ローマでの式典で、サンピエトロ広場に集まった15万人の観衆と、ローマ法王に絶賛されます。

 ところが・・・最近は彼女の活躍をあまり耳にしないのです。推測なのですが、セレブリティ(お金持ちや有名人)の私的なパーティだけで歌っているのか?それとも、それとも、同時代に立て続けにヒットを飛ばすサラ・ブライトマンの陰に隠れてしまったのか?謎です。

 イタリア音楽界の巨匠、エンニオ・モリコーネや「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」の作曲家としても知られるフランチェスコ・サルトーリは様々な楽曲を彼女に提供しています。ここでもサラ・ブライトマンがリンクします。彼女はエンニオ・モリコーネに「何度も手紙を書いて依頼して」曲を作ってもらっているのです。また、「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」にしても、彼女単独で最初にヒットさせたわけではありません。アンドレア・ボチェッリとのデュエットで知名度をあげたのです。

 いかに才能を売り込むことができるか?また、時代に、そして大衆に受け入れられる方法をとるか?この点ではサラ・ブライトマンに先んじられてしまった様です。私としては第一作の路線でフィリッパの作品をもっと聴きたいと今でも願っています。2作目以降は雰囲気が変わってしまいました。これが彼女本来の路線ならば仕方ありませんが。ともあれ、デビューアルバムはお薦めの作品です。とくに「アヴェ・マリア」です♪

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クロード・モネ

 クロード・モネといえば、印象派の代名詞的画家として日本で人気があることは皆さんご承知かもしれません。印象派とはなんぞや?調べてみました。( Wikipedia からの引用含む)

 19世紀のフランスに端を発し、ヨーロッパやアメリカ、日本までその影響を及ぼした美術および芸術の一大運動で、音楽にまでその主義は波及したそうです。それまでは、いかに対象を正確に描くかという写実主義がその勢力を誇っていましたが、画材の発達により、屋外で絵を描くことが可能になりました。また、単に対象を正確に捉えるだけならば、写真技術でもそれが可能となり、新たな潮流が生まれることになったのだそうです。

 屋外で描くとなると、天候、刻々と変わる光の加減を観ながら、スピーディに対象を捉える必要が出てきました。また、1867年にパリ万博が開かれ、日本の表現方法や画法が欧米に大きな影響を与えます。写実的でならなければいけないという画家たちに新たな視点を与えたのです。見た観じをより自由に表現できることに芸術家たちは開眼したわけです。

 重苦しい色調から明るい色調へ、人物画から屋外の自然へのモチーフの変化。観る側にとっても魅力的な作品が多く出てきました。思うに、日本は四季の変化に恵まれていますが、太陽の光は西洋のそれとはまた違ったものです。日本のファンが印象派に惹かれる理由の一つに「上品な明るさ、自由な表現を楽しんでいる画家の息づかい」を感じる点があげられると思います。

 作者には申し訳ないのですが、洗面所にモネの「睡蓮」の一部分を切り取った絵が飾ってあります。私が大好きな作品の一つです。他に代表的な印象派の画家たちに、ドガ、ルノワール、セザンヌなどがあげられます。

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オーギュスト・ロダン

 「考える人」という作品はあまりにも有名です。いったい何を考えているのか?謎ですが。この作品は実は「地獄の門」という作品の中の一モチーフだと知りました。

 1880年にフランス政府より国立美術館を建築するために、そのモチーフを作って欲しいとの依頼がロダンに来ます。このとき、彼の中ではなかなか構想がまとまらなかったそうですが、「ミューズ」が彼の前に現れます。カミーユ・クローデルという女性です。既にロダンは妻帯者でしたが、彼女の若さと魅力と才能に惹かれます。しかし、妻との三角関係に悩み?優柔不断な彼はカミーユのもとを逃げるように去っていきます。

 驚くことに、女性にだらしない限りの男性だったとこのブログを書いていて知りました。なんと、「妻」のローズを正式に入籍すらしていなかったのです。映画「カミーユ・クローデル」を観ていましたが、ここまで情けない殿方だったとは・・・。ローズのみならず、カミーユとの間にできた子供を認知すらしていないどころか、世間にも隠していたそうです。これが事実なら、ほんとうにがっかりです。

 老年期に入って、ローズが死の床についたところでやっと入籍するのですが、その時ロダンは77才、ローズは73才でした。捨てられたカミーユは精神を病んで入院し、死ぬまで病院の中で生活する羽目になっていたのでした。「女性は芸の肥やし」などという言葉がつかわれますが、都合のいい言葉だと思います。このような責任感のない男性に出逢うことは女性にとっては本当に「災難・厄災」以外のなにものでもないと思うのですが。これも「運命」なのでしょうね。

 ちなみに、ロダンの死の間際の言葉は「パリに残した若い方の妻に会いたい。」

 「妻」「優しさ」「男としての強さ」という言葉の定義がどうも私とは大きくずれている方のようです。「知らぬが仏」とはよくいいますが、彼の作品を見る目まで変わってしまいました。とほほ。

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